個性の遠近法 (ゆめの)


















絵の勉強などをしていた時にしばしば考えていた個性について

たまに個性という言葉を「奇抜さ」や「他人とどれだけ違うか」といった意味で使われていたりするがそれは間違いで、個性とは読んで字の如く「個が持つ性質」のことである。

同じ人間などいないのだから、同じ形をした個性など無く、己を知り、学び、消化することでその人の味と成っていくのである。
もちろん必然的に、「私は人間である」とか「日本人である」だとかいった有りふれた性質や、「臆病」や「怠惰」といったダメな性質も大事な個性になる。



少し前に観返した映画「酔いどれ詩人にまる前に」の原作者チャールズ・ブコウスキーという作家は自殺衝動とアルコール漬けの自堕落な生活の中で小説を書き、それが作品の味となっていた。

また私の好きな文筆家の澁澤龍彦はエッセイの中で「紋切り型を恐れるな、紋切り型を使ってオリジナルな効果が出せるようにならないといけない」と語っているが、
若い人にありがちな形式や様式といったものを嫌ったり恥じたりして使わないというのは非常に勿体無いことである。



学生時代に"所謂"奇抜な絵を描いていた子がいた。
作品発表会で先生達から「他人と違うことがしたいんだろうけど、それって全然普通だよね」と評されて凹んでいたのを私は戦々恐々として聞いていたのだが、
彼はそのジャンルが本当に好きであるなら何も臆する必要はなかったのである。
奇抜な絵が好きならそれを貫いたら良い!TUNEみたいな雑誌が好きでも全然良いのである!

個性を探すということは、自分とはどういう人間なのか、自問自答し続け、何かを見つけ、深めていくことなのだと思う。