時事ネタ『1億人の個別主義者』(ゆめの)

私は子供の頃から民主主義というものに疑問を持っていた。
もちろん社会主義者でもないが、世論では~、一般人の感覚、大衆正義、都民ファースト、なんて言葉を聞くと少し辟易する。
しかし民主主義は絶対的正義でありそれに異を唱えるのはタブーである、というのが世の風潮である。

しかし、例えば、ソーシャルゲームの運営がプレイヤーの言うことをそのまま全部聞いてたらどうなるかを考えれば「それは間違っている」と誰でも分かるはずである。
不満をそのまま聞いても、問題の本質の解決にはならないことが往々にしてあるのだ。

閑話休題。
日本の自殺率は10万人あたり20.9人であり、経済協力開発機構(OECD)平均の12.4人と比べて未だに大きい値で、ピークはバブル崩壊直後の90年代である。

バブルの発端はアメリカによる日本の内需拡大命令(要するに公共事業によるバラマキ)によるものであるが、その後二十数年失われ続けている発端は日本のメディアによるものである。
バブル崩壊後、土俵際で踏ん張っていた経済に改善の兆しが見えず、メディアがやり玉に挙げたのが公共事業である。

そして、それに簡単に流されたものが世論である。
公共事業というものはインフレ時に抑え、デフレ時に増やす、というのが原則であることは誰でも知っていることであるが、どうも我々はその原則を忘れ続けてしまっている様である。
そのため日本は二十数年失われ続け、すでに核ミサイルを落とされたに等しい人命が失われているのである。

この様な問題が起こるのは、大衆というものは流されやすく、間違い易いからである。
人は一人では生きていけない、とはよく言われることであるが、個人が漠然とした大きな群れに属してもまた危険なのである。

要するに国家・世論等という巨大な群れにそのまま個人が属すること、個人達の意見を単純に一括りにまとめると人間は意見を改めず、思考と責任を放棄して暴走するということである。
現代の「世論」「一般人の感覚」とは「御国のために死ね」や「ハイル・ヒトラー」と本質的には同じである。
まさに盲信と無責任である。

では国家・国民にとって理想的な状態とは。
それは小さな群れをピラミッド状に集合させたものだと私は考えている。
根底に共通した思想を持ちつつも個人が思考と責任をしっかり負う大きさの集団の集合体、それが最も機能する国家なのだと思う。

そして、その小さな群れを「規制緩和」という大義名分で破壊し続けてきたものが自由競争、資本主義というものである。

、、、ちなみに元法制局の方も「民主主義や資本主義というものも完璧ではない、だがそれに代わるものも今の所ない」とTVではお茶を濁した発言をしていたが、
少なくとも近代文明もまだまだ未熟であるという自覚を我々は持つべきだと言いたいだけの記事だった。

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