おやすみ人類 AIについて(ゆめの)

AI(人工知能)と言うと映画『ターミネーター』の様に、時には人類の敵となり、或いは『2001年宇宙の旅』のHALの様に人類の良き友となる存在として認知されていますが、また他にも人類の知能を大きく超越したAIによって人類の力が不要になるのではないかと懸念する声もあります。


確かに、科学・医療・文化等々の進歩新しい発見は人類に無上の喜び尊厳を与えてきたと言えるでしょう。
ノーベル賞や、はたまた将棋やチェスの名人とAIの勝負に一喜一憂する様からもそれが伺えます。
万物の霊長としての自負” AI関連のニュースサイトのコメント欄にはそういった書き込みが多数見受けられますし、私もそれに大いに共感します。



しかし、こういったものに触れる度に私は「現代人はもうゴールしているのだ。しかし、それに気づかずに走り続けているのです」という、ある禅僧の言葉を思い出します。

私達人類はこのAIの完成を以ってゴールとして良いのではないだろうか」と思うとどこか救われる気もします。

万物の霊長というバトンを”彼ら”に渡し、立ち止まり、眠りにつくのも悪くない。
さながら遊び疲れた子供の様に、平穏の中に眠りたい願望が少なくとも私にはあるのだ。

とは言え、まぁ、まだいつになるか分からない話ですけどね。

オカルト 『オーラについて考察』 (ゆめの)

私はファンタジーとしてオカルトが好きなだけで信じている訳では無いのだが、この”オーラ”については無い話ではないと考えている。
よく「オーラが見える」などと言う人がTVにでていたりするが、その人達の真偽はこの際、横に置いておく。

普通の人でも明るい表情、暗い表情というくらいには、その人が発する”何か”を感じている。
それは言葉の表現の上においてだけでなく、実際、自信に満ち溢れている人は輝いて見えて、絶望している様な人は暗く見える。


脳科学の実験では人間はモノを見た時に、視覚野だけでなく脳の様々な箇所が反応することが分かっている。
例えば、怒った表情をした人間の写真を見せられた被験者は、その目から取り入れた電気信号によって”不快感”や”恐怖”といった感情を刺激させられる、といった具合に。
これは人間がカメラの様にモノをただ見ているだけではない、ということである。


また共感覚というものがある。
刺激によって他の感覚器官が反応すること、例えば、触れると味がしたり。
その中でも「色聴」というものがこのオーラの説明になるのではないかと思う。
色聴とは特定の聴覚刺激が与えられた際に一定の色彩感覚印象がそれに伴って現れること(コトバンクより)らしい。
要するに音を聞くとそれが色になって見えるというものである。



つまりオーラが見える人とは、何らかの刺激によって色彩感覚が刺激される体質の人なのではないだろうか。
人間の微妙な顔色や表情、仕草などが色として見えているのではないだろうか、と考えるのである。

まぁ、無い話じゃないんじゃぁ~ないでしょうか(笑)

超オススメの海外ドラマ『ファーゴ(ドラマ版)』 -お前はもうゴリラだ-(ゆめの)




















「簡単なことの様に言うけど、実際は夢の中で決断するみたいに難しいことなのよ」

何とも言えない独特の雰囲気と言い回しがこのドラマにはあり、それが段々クセになります(笑)
シーズン1では人間性の欠落した二人の男によって道徳や価値観といったものをブラックでユーモラスな視点から浮き彫らせますが、対比として登場するこの作品最大の良心である副署長モリーが物語に一本、筋を通しています。

映像、音楽、脚本、演技、構成、全ての完成度がトップクラスだと思います!
個人的に海外ドラマでは久しぶりの特大ホームラン作品でした。

タイムパラドクスについて(ゆめの)

例えば「ある男が過去に行き、自分を産む前の親を殺したとする。そうすると自分は産まれる事が出来ず存在しないことになり、過去に行って親を殺すこともまた出来ない」というのがタイムパラドクスである。

この矛盾を説明するものがマルチバース(並行宇宙)理論である。
簡単に言うと可能性の数だけ宇宙は存在し、過去改変を行った場合「ある男が過去に行った世界線」と「親を殺し、産まれなかった世界線」に宇宙は分岐するというものである。

まぁ、人間の時間超越は現実的では無いかもしれないが、量子力学では平然と起こるとされている現象である。
例えば、素粒子をモールス信号の様に過去に送り、それを受信することで過去を変えることは可能かもしれない。

だが私はこの並行宇宙論に納得がいかないのである。だって、そんな簡単に宇宙が増えるはずがないもん(小並感)

故に、新たにタイムパラドクスを説明する理論を考えた。
それが宇宙の情報量保存の法則である。
ある時間軸に置いて宇宙の大きさは一定であり増えも減りもしないというものである。

外部から情報が送られれば宇宙の質量(情報量)が増えるということであるが、ある瞬間の宇宙の質量が一定で決まっているのであれば、それは不可能ということになる。

つまり未来から過去に情報を送ると宇宙の情報の許容量を超えるため、送信または受信不可になる、カ・コ・ニメールヲ・オクールをしても受信側の容量がいっぱいで受け取れないということだ。

しかし、これは運命論やマトリクス宇宙論に繋がりそうで、それはそれで認めたくないものである。

ゆめの話 ビッグバンとインフレーション理論(ゆめの)


曰く我々の宇宙は宇宙の外側の高次元空間にある谷間を落下しておるのだそうだ。


つまり宇宙は外側の引力によって引っ張られているのである。
外側の谷間は高次元であり、次元数が増える毎に谷底の数が上・下・左・右・前・後と言った具合に増えていき、球形に近づいて行く。


















そうすると、この様に次元数が増える毎に宇宙が落下していく方向が増えていき、仮に次元数が無限∞であるなら360度、周囲に落下していく(まぁ、実際には正多面体の形であろう。無限でなければ膨脹率の偏りが観測出来るはずである)

すわインフレーション理論とは「宇宙は外側に向かって落下していっている」ということなのではないだろうか。
”地球の中心が下”であるのと反対に”宇宙の外側が下”なのではないだろうか。
落下しているのならその速度が加速しているのも納得がいくし宇宙を膨脹させていく謎の力も説明がつく。
そして宇宙の起源であるビッグバンは「高次元の谷間へ無次元であった我々の宇宙が落下したこと」なのではないだろうか。

…という夢を見た。

微オススメの海外ドラマ『ハンニバル』(ゆめの)
















映画ではなくドラマ版。

全体を包む貴族然とした上品さと、血と肉と殺人の生々しさの対比が印象的で、
サブタイトルにはフランス料理のコース名が使われているのだが、ご想像通り、作中にはハンニバル博士が”腕によりをかけた料理”が登場してきます。

正直、博士が前面に出てくるまでの数話は少し退屈だけど、博士が活躍するにつれ物語がドンドン面白くなっていきます。



進撃の巨人 第二期ED曲『夕暮れの鳥』を考察(ゆめの)






















進撃の巨人第二期のED曲である神聖かまってちゃんの『夕暮れの鳥』の歌詞について巷では「意味がよく分からない」「謎や伏線があるのではないか」と言われているので私も考察してみました。

因みに私は英語の成績は赤点だったので歌詞の内容については完全に他力頼みです。

歌詞の詳細については他サイトをご覧ください。またネタバレ要素満載なので原作未読の方は要注意










歌詞とにらめっこをしていて「これは始祖の巨人が自分を引き継いだグリシャとエレンのことを歌った歌である」と思えてきました。

そして歌詞に頻出する『wind(風)と『blow(吹け)巨人の継承が起こることを現していること、
またタイトルの『夕暮れ』と歌詞に出てくる『Morning(朝)の対比は”無垢巨人から知性巨人になること継承)”を指しているのではないでしょうか。

ユミルが無垢巨人だった頃を「終わらない悪夢」と言っていたことからも十分可能性はあると思います。
とすると歌詞に出てくる『Morning in the bird朝の鳥』とは知性巨人ではないかと思われます。



さて、ここからはこの前提の元、歌詞を順に考察していきます。




Song in the bird cage. Should I sing if I sing(鳥かごの中の歌、歌えるのなら歌うべきか)


これは ”壁の中(鳥かご)にある始祖の巨人を私は奪うべきだろうか” というグリシャの自問ではないでしょうか。
アルミンも壁の中のことを鳥かごと表現していましたしね。




Sky Look wind tomorrow(空は明日に風を見て)Blow today(今日吹け)


この箇所は”始祖の巨人が次の継承の日を予見”しているのだと思います。



To expand the hand to the side of other town. Surely not accustomed divert alone(他の町にまで手を伸ばして、きっと孤独を紛らわすのは慣れていないだろうから)


これは独りマーレ(海岸)から壁の町へと向かうグリシャ”



~every night every night. Sing a song so on in the picture(~毎晩毎晩、写真の中の歌を歌う)


,,,進撃の巨人で写真といえば”グリシャの壁外で撮った家族写真”ですね。グリシャがまた家族を持った、ということでしょう。



Sky Look wind tomorrow. Blow to the side of you. ~Morning in the bird. It is next to you(空は明日に風を見て、風はあなたの側を吹き抜ける。~朝の鳥。それはあなたの隣にいる)


次の継承を予感し、巨人を継ぐのはグリシャのすぐ隣にいるエレンだ” ということでしょう。



I can sing again like a bird in the sky(私は空を飛ぶ鳥の様にまた歌える)


これは”始祖の巨人を壁の外へと連れ出したエレン”と合致します。そして、歌詞はここからエレンの歌へと移行します。



I'll sing out with my girl. Go to the meeting place sing alone rolling stone(私の少女と共に歌う。孤独に転がる石が歌う場所へ行きましょう


my girl と alone rolling stone ミカサのことで ”両親を殺され独りぼっち横たわっていたミカサをエレンが助けに行ったエピソード” に読み取れます。



そしてまた歌われる『To expand the hand to the side of other town. Surely not accustomed divert alone(他の町にまで手を伸ばして、きっと孤独を紛らわすのは慣れていないだろうから


これは反転して今度はエレンが孤独に壁からマーレに行くことを示唆しているのではないでしょうか。

そうなると、この時にはミカサやアルミンは死んでしまっているのかもしれません。
(エレンがマーレに行く理由として、おそらくジーク達との再戦に勝利し、アニの女型の巨人を含めた8体の巨人を継承したエレンが最後の巨人を求めて…といった所でしょうか)


この部分は完全に妄想ですが”始祖の巨人がイェーガー親子を歌った歌”という大筋には自信アリです。


2018/8/9 追記 

最近の話で明らかになって来ましたが、エレンが暴走(?)して単独マーレに乗り込んだようですね。