『甲鉄城のカバネリ』  (ゆめの)




















四月から楽しみにしていた「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない(第四部)」のアニメが始まりました。
もちろんそれも非常に楽しんでいる訳ですが、同じく四月から始まった「甲鉄城のカバネリ」の第一話に度肝を抜かれました。

最初は古臭い絵だなぁ、と思っていたのですが鋼鉄と蒸気機関の重厚感と奇天烈な和風の艶やかさが見事に調和されていて超美麗でした。
あの進撃の巨人を制作していた会社なのでアクションシーンも完璧、劇場版かと見紛う程の気合の入り方である。

ストーリーとしては所謂ゾンビもの+ヘンテコ明治な時代背景のようです。

最近はアニメを見た後にYOUTUBEなどに投稿されているリアクショアン動画というものを見るのが常になっていますが、押し並べて「スゴイものを見た」と感嘆している様子でした。


時事ネタ『弱肉強食の流行』(ゆめの)

最近、、、でもないが「この世は弱肉強食だ!」という様な言葉をよく目にしたり耳にしたりする。
”(人の世も)強い者が弱い者を喰い物にするのは当たり前で、理不尽でもそれが自然の摂理で全てだ”という意味合いで使われているらしい。
構造改革、規制緩和、世界と渡り合う競争力が云々、と言ってる人が増えているのも最近の風潮でしょうか。
まぁ漫画や映画ならそういうのも良いと思うし実際(進撃の巨人とか)そういう作品は好きなのですが。

しかし、自然には「弱肉強食」の関係と同時に「共生」の関係も多く、自然とは様々なバランスの中で生きているはずである。
それに全てが弱肉強食で共生という概念がないのであれば「国家」というものも無くなってしまうではないか、と私は思います。

確かに弱肉強食はこの世の一つの真理ではあるけれど、たった一つのそれっぽっちの真理で世の中は出来ていないだろう、と思う訳です。
当たり前だけど、ちょっと忘れられている気がします。

ピカソと日記(ゆめの)






















先日、愛知県美術館でやっている”ピカソ、天才の秘密展(2016/1/3~3/21)”に行ってきました。
ピカソといえばキュビスムという程度でそれ以前の絵も見たことはあったがあまり詳しくは知らなかった。

今回の展示会はキュビスムに至るまでの遍歴に焦点を当てたもので、入口から少年時代の絵に始まり、青の時代、バラ色の時代、キュビスムとピカソの人生に沿って展示されていた。

その他にも当時の芸術家達が入り浸っていた居酒屋のメニュー表のイラスト画や戯れに描いたであろう社会風刺画なども多数、展示してあった。

ピカソは自身の絵を「日記の様なもの」と言っていたそうで、それらを順繰りに観ていくことでピカソという人物像とその人生が解りやすく身近に感じられて大変面白いものであった。
館内をぐるりと観終わった後は一本の伝記物の映画を見た様な心地と充実感でいっぱいでした。

、、、しかし青の時代、バラ色の時代と精緻な絵を順々に観て、改めてキュビスムの絵を観た時は知っていても衝撃的だった。思わず”頭がイカレたのか”という感情が過ぎってしまう、、、いや、凄かった。

あとピカソ展のチケットで別のコレクション展というのも観ることが出来、そこに横尾忠則の絵が一枚だけだが展示されていたのは思わぬ収穫だった。

NFL 第50回 スーパーボール(ゆめの)






















(日本時間)2月8日、明日の朝8時30分キックオフ。


何といってもアメフトの面白い所はパワー、スピード、テクニックに加え”戦術”に重きを置いている所です。
アメフトは1プレイ毎に数十秒間試合が止まり、その間に作戦を決め実行する、というのを繰り返すスポーツなのです。
他のスポーツと比べ戦術の量も回数も多いのである。

そのため戦術理解度と呼ばれる「複雑で数ある作戦をどこまで理解出来ているのか?」という能力は時に身体能力以上に重要になります。
そして相手の作戦をこじ開け倒すのがパワーでありスピードであり、テクニックであり、戦術なのです。
なんともアメリカらしい理知的というか合理的な面と野生的な面が同居したスポーツである。
ここには生きた理屈があります。

そんなアメフトの頂点を決める試合がスーパーボールです。
残念ながら私が応援していたシアトル・シーホークスは敗れてしまいましたが、そのシーホークスを破ったカロライナ・パンサーズが決勝に進出。

パンサーズのQBキャム・ニュートンは今季、精神面で大きく成長してチームの柱となり、また圧倒的票数で今季のMVPに選ばれている。
悪ガキだった子供が近所の頼れる兄ちゃんに成長した、といった感じでチーム内の雰囲気もリラックスしていて賑やかである。

そして若く波に乗っているパンサーズと対するのはデンバー・ブロンコス。
QBのペイトン・マニングは現役でありながら、すでにNFLの歴史となっている人物である。
この大舞台を最後に引退するのでは?と噂されているが、長年過酷なNFLの世界で戦ってきた身体は度重なるケガに悩まされ悲鳴をあげている。

初のスーパーボール挑戦となるパンサーズの”新星”ニュートンとスーパーボール制覇経験のあるブロンコスの”伝説”マニングと対照的な対決。
大方の予想では破竹の勢いであるパンサーズが勝つのではないかとされているが、マニングの神懸り的なプレイの数々を思い起こすと、そう簡単には行かないのではないかと思えてきます。

またスーパーボールでは試合の途中にあるハーフタイムショーも見所で、第50回の今回はイギリスのロックバンド、コールドプレイが出演する予定です。
コールドプレイは一時期、Viva La Vida」や「X&Y」などのアルバムをヘビロテしていたので個人的にこちらも非常に楽しみです。

個性の遠近法 (ゆめの)


















絵の勉強などをしていた時にしばしば考えていた個性について

たまに個性という言葉を「奇抜さ」や「他人とどれだけ違うか」といった意味で使われていたりするがそれは間違いで、個性とは読んで字の如く「個が持つ性質」のことである。

同じ人間などいないのだから、同じ形をした個性など無く、己を知り、学び、消化することでその人の味と成っていくのである。
もちろん必然的に、「私は人間である」とか「日本人である」だとかいった有りふれた性質や、「臆病」や「怠惰」といったダメな性質も大事な個性になる。



少し前に観返した映画「酔いどれ詩人にまる前に」の原作者チャールズ・ブコウスキーという作家は自殺衝動とアルコール漬けの自堕落な生活の中で小説を書き、それが作品の味となっていた。

また私の好きな文筆家の澁澤龍彦はエッセイの中で「紋切り型を恐れるな、紋切り型を使ってオリジナルな効果が出せるようにならないといけない」と語っているが、
若い人にありがちな形式や様式といったものを嫌ったり恥じたりして使わないというのは非常に勿体無いことである。



学生時代に"所謂"奇抜な絵を描いていた子がいた。
作品発表会で先生達から「他人と違うことがしたいんだろうけど、それって全然普通だよね」と評されて凹んでいたのを私は戦々恐々として聞いていたのだが、
彼はそのジャンルが本当に好きであるなら何も臆する必要はなかったのである。
奇抜な絵が好きならそれを貫いたら良い!TUNEみたいな雑誌が好きでも全然良いのである!

個性を探すということは、自分とはどういう人間なのか、自問自答し続け、何かを見つけ、深めていくことなのだと思う。

鼓動に芽ぐむ 日暈と我の心 (ゆめの)











その昔、卒業制作で作った絵本「昆虫スープの作り方」から一絵。



老木は雲煙彼方、眺め侘ぶ (ゆめの)















近所の神社に生えている老木の絵を描きました。
昔はよくその神社で遊んだりお祭りなどをしたものですが、
一目で樹齢が窺えるこの木は境内の木々の中でも一際目立っていました。