最近見た映画の中で期待しないで見たらそこそこ良かったもの。
『世界にひとつのプレイブック』
精神科に入院していたパットと心に傷を負っていたティファニー、どん底からの一歩を踏み出すヒューマンドラマ。
最後のダンスコンテストのグダグダ感は秀逸、映画『リトル・ミス・サンシャイン』の様なダメダメなユーモアが溢れた映画でした。
『ウォールフラワー』
原作は「ライ麦畑でつかまえての再来」と言われた同名の小説。
友情と恋、内に籠っていた少年の世界が広がる(?)青春映画で十代の頃に観ていたら、どっぷり感化されていたかも。
『あなたは私のムコになる』
キャリアウーマンと部下の恋愛物語。
カナダ人であるマーガレットは仕事に熱中するあまりビザの申請を後回しにしていたせいで国外退去を命じられる。
それを回避するために部下のアンドリューと結婚することにするが・・・。
アラスカの美しい自然とアンドリューの家族の暖かさ、きちんとハッピーエンドでほっこり出来る安心設計。
『キャビン』
夏休みのバカンスに山小屋へと来た大学生5人がB級ホラーのお約束よろしく死んでいく。
だが、その裏には謎の組織の工作があった!という映画、構成がメタ構造になっていて一捻りあります。
きっついブラックなジョークが良いですね。
『ハウンター』
監督は「CUBE」のヴィンチェンゾ・ナタリ。
ある朝、リサは世界がこの日を繰り返していることに気づく。
外に出ようにも霧が濃くて出られず、自分以外の家族はこの繰り返しに気づいていない。
この手のミステリー好きなら十分楽しめる映画だと思います。
『ゴースト・イン・ザ・シェル(実写)』感想(ゆめの)
本当は劇場で観たかったけど、ゲオで先行レンタルされていたので借りてきました。
率直な感想としては”思ったより良かった”です。
随所にアニメ版のシーンを彷彿とさせるシーンがあり、攻殻好きな人が作ったことが伝わってきましたし、
そして何より、吹替が田中敦子と大塚明夫ということで、この二人の会話が聞けただけでもアニメ版のファンとしてはグっと来るものがありました。
ストーリーがオリジナルというのは賛否が分かれる所でしょうか(設定も結構弄られていましたね)
ただ色々中途半端で惜しかった印象です。
原作を知らない人には世界観の説明不足だし、その割にメインストーリーの尺が足りなくて散らかり気味だったと思います。
さらに攻殻にとって最大のキモとも言える「電脳」の描写がイマイチなせいか”情報戦”と”肉弾戦”のマルチなプロ集団という「公安9課」の存在感も希薄で、
結局、ありきたりなサイボーグのドンパチものにしかなっていなかったのが残念でした。
また中二心をツンツンする様な小難しい哲学的な会話もあまりないですし、
ビートたけし演じる荒巻課長も、あの老獪でカッコいい姿は無く、ただのヤクザの組長にしか見えませんでした。
とは言え、某ドラゴンボールと違ってかなり真面目に作られていたし、ちゃんとしたものになっていました。
まぁ、士郎正宗の原作漫画からして膨大な量の要素が盛り込まれているので、さすがにまとめ上げるのは厳しかったのかな。
もっと予算と尺があれば・・・、ですかね。
おやすみ人類 AIについて(ゆめの)
AI(人工知能)と言うと映画『ターミネーター』の様に、時には人類の敵となり、或いは『2001年宇宙の旅』のHALの様に人類の良き友となる存在として認知されていますが、また他にも”人類の知能を大きく超越したAIによって人類の力が不要になるのではないか”と懸念する声もあります。
確かに、科学・医療・文化等々の進歩や新しい発見は人類に無上の喜びと尊厳を与えてきたと言えるでしょう。
ノーベル賞や、はたまた将棋やチェスの名人とAIの勝負に一喜一憂する様からもそれが伺えます。
”万物の霊長としての自負” AI関連のニュースサイトのコメント欄にはそういった書き込みが多数見受けられますし、私もそれに大いに共感します。
しかし、こういったものに触れる度に私は「現代人はもうゴールしているのだ。しかし、それに気づかずに走り続けているのです」という、ある禅僧の言葉を思い出します。
「私達人類はこのAIの完成を以ってゴールとして良いのではないだろうか」と思うとどこか救われる気もします。
万物の霊長というバトンを”彼ら”に渡し、立ち止まり、眠りにつくのも悪くない。
さながら遊び疲れた子供の様に、平穏の中に眠りたい願望が少なくとも私にはあるのだ。
とは言え、まぁ、まだいつになるか分からない話ですけどね。
確かに、科学・医療・文化等々の進歩や新しい発見は人類に無上の喜びと尊厳を与えてきたと言えるでしょう。
ノーベル賞や、はたまた将棋やチェスの名人とAIの勝負に一喜一憂する様からもそれが伺えます。
”万物の霊長としての自負” AI関連のニュースサイトのコメント欄にはそういった書き込みが多数見受けられますし、私もそれに大いに共感します。
しかし、こういったものに触れる度に私は「現代人はもうゴールしているのだ。しかし、それに気づかずに走り続けているのです」という、ある禅僧の言葉を思い出します。
「私達人類はこのAIの完成を以ってゴールとして良いのではないだろうか」と思うとどこか救われる気もします。
万物の霊長というバトンを”彼ら”に渡し、立ち止まり、眠りにつくのも悪くない。
さながら遊び疲れた子供の様に、平穏の中に眠りたい願望が少なくとも私にはあるのだ。
とは言え、まぁ、まだいつになるか分からない話ですけどね。
オカルト 『オーラについて考察』 (ゆめの)
私はファンタジーとしてオカルトが好きなだけで信じている訳では無いのだが、この”オーラ”については無い話ではないと考えている。
よく「オーラが見える」などと言う人がTVにでていたりするが、その人達の真偽はこの際、横に置いておく。
普通の人でも明るい表情、暗い表情というくらいには、その人が発する”何か”を感じている。
それは言葉の表現の上においてだけでなく、実際、自信に満ち溢れている人は輝いて見えて、絶望している様な人は暗く見える。
脳科学の実験では人間はモノを見た時に、視覚野だけでなく脳の様々な箇所が反応することが分かっている。
例えば、怒った表情をした人間の写真を見せられた被験者は、その目から取り入れた電気信号によって”不快感”や”恐怖”といった感情を刺激させられる、といった具合に。
これは人間がカメラの様にモノをただ見ているだけではない、ということである。
また共感覚というものがある。
刺激によって他の感覚器官が反応すること、例えば、触れると味がしたり。
その中でも「色聴」というものがこのオーラの説明になるのではないかと思う。
色聴とは特定の聴覚刺激が与えられた際に一定の色彩感覚印象がそれに伴って現れること(コトバンクより)らしい。
要するに音を聞くとそれが色になって見えるというものである。
つまりオーラが見える人とは、何らかの刺激によって色彩感覚が刺激される体質の人なのではないだろうか。
人間の微妙な顔色や表情、仕草などが色として見えているのではないだろうか、と考えるのである。
まぁ、無い話じゃないんじゃぁ~ないでしょうか(笑)
よく「オーラが見える」などと言う人がTVにでていたりするが、その人達の真偽はこの際、横に置いておく。
普通の人でも明るい表情、暗い表情というくらいには、その人が発する”何か”を感じている。
それは言葉の表現の上においてだけでなく、実際、自信に満ち溢れている人は輝いて見えて、絶望している様な人は暗く見える。
脳科学の実験では人間はモノを見た時に、視覚野だけでなく脳の様々な箇所が反応することが分かっている。
例えば、怒った表情をした人間の写真を見せられた被験者は、その目から取り入れた電気信号によって”不快感”や”恐怖”といった感情を刺激させられる、といった具合に。
これは人間がカメラの様にモノをただ見ているだけではない、ということである。
また共感覚というものがある。
刺激によって他の感覚器官が反応すること、例えば、触れると味がしたり。
その中でも「色聴」というものがこのオーラの説明になるのではないかと思う。
色聴とは特定の聴覚刺激が与えられた際に一定の色彩感覚印象がそれに伴って現れること(コトバンクより)らしい。
要するに音を聞くとそれが色になって見えるというものである。
つまりオーラが見える人とは、何らかの刺激によって色彩感覚が刺激される体質の人なのではないだろうか。
人間の微妙な顔色や表情、仕草などが色として見えているのではないだろうか、と考えるのである。
まぁ、無い話じゃないんじゃぁ~ないでしょうか(笑)
超オススメの海外ドラマ『ファーゴ(ドラマ版)』 -お前はもうゴリラだ-(ゆめの)
「簡単なことの様に言うけど、実際は夢の中で決断するみたいに難しいことなのよ」
何とも言えない独特の雰囲気と言い回しがこのドラマにはあり、それが段々クセになります(笑)
シーズン1では人間性の欠落した二人の男によって道徳や価値観といったものをブラックでユーモラスな視点から浮き彫らせますが、対比として登場するこの作品最大の良心である副署長モリーが物語に一本、筋を通しています。
映像、音楽、脚本、演技、構成、全ての完成度がトップクラスだと思います!
個人的に海外ドラマでは久しぶりの特大ホームラン作品でした。
タイムパラドクスについて(ゆめの)
例えば「ある男が過去に行き、自分を産む前の親を殺したとする。そうすると自分は産まれる事が出来ず存在しないことになり、過去に行って親を殺すこともまた出来ない」というのがタイムパラドクスである。
この矛盾を説明するものがマルチバース(並行宇宙)理論である。
簡単に言うと可能性の数だけ宇宙は存在し、過去改変を行った場合「ある男が過去に行った世界線」と「親を殺し、産まれなかった世界線」に宇宙は分岐するというものである。
まぁ、人間の時間超越は現実的では無いかもしれないが、量子力学では平然と起こるとされている現象である。
例えば、素粒子をモールス信号の様に過去に送り、それを受信することで過去を変えることは可能かもしれない。
だが私はこの並行宇宙論に納得がいかないのである。だって、そんな簡単に宇宙が増えるはずがないもん(小並感)
故に、新たにタイムパラドクスを説明する理論を考えた。
それが宇宙の情報量保存の法則である。
ある時間軸に置いて宇宙の大きさは一定であり増えも減りもしないというものである。
外部から情報が送られれば宇宙の質量(情報量)が増えるということであるが、ある瞬間の宇宙の質量が一定で決まっているのであれば、それは不可能ということになる。
つまり未来から過去に情報を送ると宇宙の情報の許容量を超えるため、送信または受信不可になる、カ・コ・ニメールヲ・オクールをしても受信側の容量がいっぱいで受け取れないということだ。
しかし、これは運命論やマトリクス宇宙論に繋がりそうで、それはそれで認めたくないものである。
この矛盾を説明するものがマルチバース(並行宇宙)理論である。
簡単に言うと可能性の数だけ宇宙は存在し、過去改変を行った場合「ある男が過去に行った世界線」と「親を殺し、産まれなかった世界線」に宇宙は分岐するというものである。
まぁ、人間の時間超越は現実的では無いかもしれないが、量子力学では平然と起こるとされている現象である。
例えば、素粒子をモールス信号の様に過去に送り、それを受信することで過去を変えることは可能かもしれない。
だが私はこの並行宇宙論に納得がいかないのである。だって、そんな簡単に宇宙が増えるはずがないもん(小並感)
故に、新たにタイムパラドクスを説明する理論を考えた。
それが宇宙の情報量保存の法則である。
ある時間軸に置いて宇宙の大きさは一定であり増えも減りもしないというものである。
外部から情報が送られれば宇宙の質量(情報量)が増えるということであるが、ある瞬間の宇宙の質量が一定で決まっているのであれば、それは不可能ということになる。
つまり未来から過去に情報を送ると宇宙の情報の許容量を超えるため、送信または受信不可になる、カ・コ・ニメールヲ・オクールをしても受信側の容量がいっぱいで受け取れないということだ。
しかし、これは運命論やマトリクス宇宙論に繋がりそうで、それはそれで認めたくないものである。
ゆめの話 ビッグバンとインフレーション理論(ゆめの)
曰く我々の宇宙は宇宙の外側の高次元空間にある谷間を落下しておるのだそうだ。
つまり宇宙は外側の引力によって引っ張られているのである。
外側の谷間は高次元であり、次元数が増える毎に谷底の数が上・下・左・右・前・後と言った具合に増えていき、球形に近づいて行く。
そうすると、この様に次元数が増える毎に宇宙が落下していく方向が増えていき、仮に次元数が無限∞であるなら360度、周囲に落下していく(まぁ、実際には正多面体の形であろう。無限でなければ膨脹率の偏りが観測出来るはずである)
すわインフレーション理論とは「宇宙は外側に向かって落下していっている」ということなのではないだろうか。
”地球の中心が下”であるのと反対に”宇宙の外側が下”なのではないだろうか。
落下しているのならその速度が加速しているのも納得がいくし宇宙を膨脹させていく謎の力も説明がつく。
そして宇宙の起源であるビッグバンは「高次元の谷間へ無次元であった我々の宇宙が落下したこと」なのではないだろうか。
…という夢を見た。
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