この季節になると無性に見たくなる映画(夏) (ゆめの)

3位 ノーカントリー


初見ではアントン・シガーの怖さだけが頭に残るが、この映画全体を包括する主人公はトミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官である。老保安官が引退を決意するに到った事件の物語。
ことあるごとに「最近の事件(若者)は理解出来ない」と時代の移り変わりに取り残されたことをぼやく姿、そして引退後、妻に語る昨日見た夢の話。そのシーンに何とも言えない侘しさがある。
また映画に出てくる荒野が夏の暑さと相まってロマンを感じさせる。




2位 サマータイムマシンブルース



大学のモラトリアムとタイムマシンっていう要素がもうグッと来ますね。
終始くだらないことにタイムマシーンを使い倒して、おちゃらけたまま終わるのだがエンディングでは「あ~もう夏も終わってしまうなぁ」という儚さと充足感が得られて「また来年も見よう」と思う。









1位 ラストサマー



夏!海!殺人鬼!
うだる様な暑さを窓の外にエアコンの効いた部屋でキンキンに冷えたコーラと適当なお菓子でも食べながら見るには最高の映画である。


時事ネタ『神様のすゝめ』 (ゆめの)

どうも日本という国には宗教を嘲笑する風潮が出来ている様である。
周囲の友人知人、種々なメディアや作品等々の意見を見聞きしている限り、おそらく間違っていないだろう。
こういったきらいはオウムの地下鉄サリンから加速したのだろうか・・・。

かくいう私も神の存在など毛ほども信じていない訳ですが、だからといって宗教というものを嘲る気もないのである。
結論から言うと私の宗教に対するスタンスとは「宗教とは一種の寓話である」ということです。

登場人物の赤ずきんやオオカミ少年が本当に実在したか否かということが全くどうでもいいことと同じで、
神や仏が実在するかどうかなど全くどうでもいいことなのだ、という考え方です。

大切なのは歴史の中で長い時間を掛けて形成された「道徳」や「教訓」を如何に汲み取るか、ということ。

また一般にはあまり認識されていないが「国」と「法」というものにも必ず「神聖さ」が必要なのである。
考えてみれば当たり前で、神聖(尊敬の念を集めるもの)でなければ人は一つにまとまらないし従わない、簡単にルールを破ってしまうのである。

(そのため王国というものには、王の権利、権力は神から授かったものであるとする王権神授説というものや、王は神の子の一族であるといった神話があるのである)

そしてまた国と法を作る上で、ある程度共通した道徳や価値観というものがなければどうやったってそれらを作ることは不可能である。
その土台、礎となっているものが宗教(や風習)であり、それを科学的合理主義の観点から嘲るということはやはり滑稽でしかない様に思うのである。

部屋の絵(ゆめの)

















私の部屋ではなく、自分でテーマを考えて部屋の絵を描くという授業で描いた絵です。私のテーマは「アダムスファミリーの様な」です。

『甲鉄城のカバネリ』  (ゆめの)




















四月から楽しみにしていた「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない(第四部)」のアニメが始まりました。
もちろんそれも非常に楽しんでいる訳ですが、同じく四月から始まった「甲鉄城のカバネリ」の第一話に度肝を抜かれました。

最初は古臭い絵だなぁ、と思っていたのですが鋼鉄と蒸気機関の重厚感と奇天烈な和風の艶やかさが見事に調和されていて超美麗でした。
あの進撃の巨人を制作していた会社なのでアクションシーンも完璧、劇場版かと見紛う程の気合の入り方である。

ストーリーとしては所謂ゾンビもの+ヘンテコ明治な時代背景のようです。

最近はアニメを見た後にYOUTUBEなどに投稿されているリアクショアン動画というものを見るのが常になっていますが、押し並べて「スゴイものを見た」と感嘆している様子でした。


時事ネタ『弱肉強食の流行』(ゆめの)

最近、、、でもないが「この世は弱肉強食だ!」という様な言葉をよく目にしたり耳にしたりする。
”(人の世も)強い者が弱い者を喰い物にするのは当たり前で、理不尽でもそれが自然の摂理で全てだ”という意味合いで使われているらしい。
構造改革、規制緩和、世界と渡り合う競争力が云々、と言ってる人が増えているのも最近の風潮でしょうか。
まぁ漫画や映画ならそういうのも良いと思うし実際(進撃の巨人とか)そういう作品は好きなのですが。

しかし、自然には「弱肉強食」の関係と同時に「共生」の関係も多く、自然とは様々なバランスの中で生きているはずである。
それに全てが弱肉強食で共生という概念がないのであれば「国家」というものも無くなってしまうではないか、と私は思います。

確かに弱肉強食はこの世の一つの真理ではあるけれど、たった一つのそれっぽっちの真理で世の中は出来ていないだろう、と思う訳です。
当たり前だけど、ちょっと忘れられている気がします。

ピカソと日記(ゆめの)






















先日、愛知県美術館でやっている”ピカソ、天才の秘密展(2016/1/3~3/21)”に行ってきました。
ピカソといえばキュビスムという程度でそれ以前の絵も見たことはあったがあまり詳しくは知らなかった。

今回の展示会はキュビスムに至るまでの遍歴に焦点を当てたもので、入口から少年時代の絵に始まり、青の時代、バラ色の時代、キュビスムとピカソの人生に沿って展示されていた。

その他にも当時の芸術家達が入り浸っていた居酒屋のメニュー表のイラスト画や戯れに描いたであろう社会風刺画なども多数、展示してあった。

ピカソは自身の絵を「日記の様なもの」と言っていたそうで、それらを順繰りに観ていくことでピカソという人物像とその人生が解りやすく身近に感じられて大変面白いものであった。
館内をぐるりと観終わった後は一本の伝記物の映画を見た様な心地と充実感でいっぱいでした。

、、、しかし青の時代、バラ色の時代と精緻な絵を順々に観て、改めてキュビスムの絵を観た時は知っていても衝撃的だった。思わず”頭がイカレたのか”という感情が過ぎってしまう、、、いや、凄かった。

あとピカソ展のチケットで別のコレクション展というのも観ることが出来、そこに横尾忠則の絵が一枚だけだが展示されていたのは思わぬ収穫だった。

NFL 第50回 スーパーボール(ゆめの)






















(日本時間)2月8日、明日の朝8時30分キックオフ。


何といってもアメフトの面白い所はパワー、スピード、テクニックに加え”戦術”に重きを置いている所です。
アメフトは1プレイ毎に数十秒間試合が止まり、その間に作戦を決め実行する、というのを繰り返すスポーツなのです。
他のスポーツと比べ戦術の量も回数も多いのである。

そのため戦術理解度と呼ばれる「複雑で数ある作戦をどこまで理解出来ているのか?」という能力は時に身体能力以上に重要になります。
そして相手の作戦をこじ開け倒すのがパワーでありスピードであり、テクニックであり、戦術なのです。
なんともアメリカらしい理知的というか合理的な面と野生的な面が同居したスポーツである。
ここには生きた理屈があります。

そんなアメフトの頂点を決める試合がスーパーボールです。
残念ながら私が応援していたシアトル・シーホークスは敗れてしまいましたが、そのシーホークスを破ったカロライナ・パンサーズが決勝に進出。

パンサーズのQBキャム・ニュートンは今季、精神面で大きく成長してチームの柱となり、また圧倒的票数で今季のMVPに選ばれている。
悪ガキだった子供が近所の頼れる兄ちゃんに成長した、といった感じでチーム内の雰囲気もリラックスしていて賑やかである。

そして若く波に乗っているパンサーズと対するのはデンバー・ブロンコス。
QBのペイトン・マニングは現役でありながら、すでにNFLの歴史となっている人物である。
この大舞台を最後に引退するのでは?と噂されているが、長年過酷なNFLの世界で戦ってきた身体は度重なるケガに悩まされ悲鳴をあげている。

初のスーパーボール挑戦となるパンサーズの”新星”ニュートンとスーパーボール制覇経験のあるブロンコスの”伝説”マニングと対照的な対決。
大方の予想では破竹の勢いであるパンサーズが勝つのではないかとされているが、マニングの神懸り的なプレイの数々を思い起こすと、そう簡単には行かないのではないかと思えてきます。

またスーパーボールでは試合の途中にあるハーフタイムショーも見所で、第50回の今回はイギリスのロックバンド、コールドプレイが出演する予定です。
コールドプレイは一時期、Viva La Vida」や「X&Y」などのアルバムをヘビロテしていたので個人的にこちらも非常に楽しみです。