エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY


アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズの世界を下敷きに舞台を現代のアメリカNYに置き換えたドラマです。

またホームズの相棒ワトソンが初の女性へと変更される等、ニーズに合わせた変更がされています(賛否が分かれる所かもしれません)。


シャーロック・ホームズというと長らく英国紳士的な描き方がされてきましたが、実は原作ではかなりの変人で破天荒な人物で描写されているのです。

最近では映画「シャーロック・ホームズ」で原作に近い変人設定がされる等、その扱われ方が変わってきている様です。


このエレメンタリーでもかなりの変人設定にされていて、それがドラマに程よいスパイスを与えてくれます。

一応ジャンルとしてはミステリードラマに当たりますが、そこまで唸る様なトリック等は無く、どちらかというとドラッグに溺れどん底まで落ちた天才ホームズの人間的な成長や快気とそれを支えるワトソンとの友情とも言えない運命的な関係等のヒューマンドラマの向きが強い作品です。


またワトソンが女性に変更されたことにより、変人奇人、ドラッグ漬けからの再生を図るホームズを包み込む母性溢れる人柄が際立ちます。


ちょっと疲れている時にも小気味良く安心して見られるオススメドラマです。

ループ説から考察する進撃の巨人[~101話](ゆめの)

最後の巨人である戦鎚の巨人が登場し、進撃の巨人の物語もいよいよ終局に近づいて来た感がありますが、ここまでの話(原作101話)と有力視されているループ説を用いて100年前の巨人大戦とその後を考察してみようと思います。

一応、補足するとループ説とは進撃の世界がループしているのではないかという説です。



このループ説を前提とすると色々見えてくるものがあります。


100年前の巨人大戦の真実とは



99話にてタイバー家が「醜い争いを憂い、さらにマーレ人を哀れに思った145代フリッツ王がタイバー家と組んで国を売った」と言っていますが、私はこれは真実ではないと考えています。
このことを考察するに当たり、私が注目したいのはダイナ・フリッツの「それまでも八つの巨人を分けた家同士が争っていた」という発言です。

この争う理由とは「ループの是非」だったのではないでしょうか、つまりループ肯定派否定派で争っていたのではないかと思うのです。
巨人の記憶継承は血縁が近い程深くなるとされていますが、家系で記憶継承してきた巨人の家では過去のループのことを知っていたとしても不思議ではありません。

そうなって来ると巨人大戦の意味も見えてきます。
そして、それまで始祖の巨人を用いて均衡を保ってきたのに、何故この大戦では始祖が用いられなかったのか。

始祖の巨人との間にある契り


私が思うに、それは、この時すでに始祖の巨人は不戦の契りが発動していたからではないだろうかと思うのです。
ループにはいくつか条件があり、その一つに「発動前の約100年間、力を充電するために始祖の力である叫びの力が制限される」という様なものがあり、それこそが不戦の契りだったのではないでしょうか。
つまり不戦の契りとはループの契りの一端だったのだと思います。


始祖不在によって巨人大戦開幕


今まで言われていた巨人大戦開戦→終戦→不戦の契りの順ではなく不戦の契り→巨人大戦だったのではないでしょうか、その方が自然な流れの様に思います。
145代目の王が始祖の巨人を引き継ぎ、不戦の契りが発動することが開戦のゴングであったと、、、、そうすると上記の「そもそも巨人大戦とは145代の王が始祖の巨人を継承したことが始まりですが」というダイナ・フリッツの発言と符合します。

そして大戦によりループ肯定派が勝利するも勝者側も敗者側も家系による巨人継承が途絶え、ループの記憶も消えた。タイバー家(肯定派)とクルーガー家(否定派)を除いて





これは当初、「道」を通じて未来を見たのかと思いましたが、これはループの前世というか、別の世界線の記憶のことだったと今は思っています。
タイバー家だけでなく、この記憶があり始祖簒奪を企てたということから、クルーガーも巨人継承の家系だったと推察されます。
何故自分の家系の人間ではなくグリシャに始祖簒奪を託したのかは不明ですが、本当に「あの日、壁の外に出たから」なのでしょうか、このループの外に出ることを願って。


始祖の立ち位置と簒奪


始祖の家としては、おそらく中立で、勝った方の意見に委ねる立場だったのではないでしょうか。
言うなれば試合の審判、或いはトロフィーの様な位置づけ。

しかし、ここで横紙破りが起きます。
敗戦後、潜伏していたクルーガーとイェーガー親子の進撃の巨人による始祖の簒奪です



簒奪(さんだつ)とは、本来君主の地位の継承権が無い者が、君主の地位を奪取すること(じしょ君より)

始祖の巨人が簒奪されたことでループ発動が出来なくなります(始祖の力を引き出せるのは王家のみ)。
敗けた進撃がトロフィー(王家の巨人)を奪取するというのは、まさに簒奪というにふさわしいです。

マーレの始祖奪還計画の真実


さて、ここまでで一つ矛盾が出てきます。
タイバー家がループ肯定派であるなら「何故マーレの始祖奪還計画を止めなかったのか」ということです。
マーレが始祖奪還に成功してしまうと王家によるループ発動が出来なくなってしまいます。

しかし、これはタイバー家が王家の血を継いだ家系だったとすれば解決されます。
その根拠となるのがアニメ進撃の巨人第二期のEDに出てくるこのシーンです。


これはユミル・フリッツの死後、九つに分けた血肉を食し、現在の九つの巨人を継承しているシーンとされており、また作中でも「始祖ユミル・フリッツには三人の娘がいた」と明言されています。

巨人はそれぞれの家系で継承されてきたことから、この三人もそれぞれ巨人を引き継ぐ家に分かれたはずです。
そして、その三家の内二つ、レイス家(壁の王、ヒストリア等)フリッツ家(ダイナ、ジーク)は王家として出てきてますが、三つ目の王家がタイバー家なのではないでしょうか。

であるならばマーレが始祖を奪還したとしても問題なくループが発動出来ます。
それどころか、マーレに潜むフクロウが始祖簒奪計画を本格化する直前に、このマーレの奪還計画が開始された所を見ると、先んじて始祖を保護するつもりだったのかもしれません(しかしマーレのトップがあまりにも無能だったため利用されかけた挙句、失敗に終わった)

またこうして見ると「奪還」「簒奪」はライナー達とエレン達の「戦士」「兵士」の対比の様に立場の違いを微妙なニュアンスで対比した言葉であることが窺えますね。

と、まぁ、ざっくりと思いつくままに書いてきた訳ですが、どれだけ当たっていることでしょうか(笑)

「名作 ピンポンの名トイレシーンの考察」(ゆめの)

アニメを見返した勢いで、そのまま漫画も全巻読み返してしまいました。
本当に懐の深い作品なので見る度に新しい発見がありますね。
その中でも意外と「ここはどういう意味なんだろう?」と疑問の声が多いトイレシーンを一つ考察してみたいと思います。





















この時のアクマが何を言いかけていたのか。
それを推し量るにはアクマが停学になった理由を思い返さなければなりません。





















俺は努力したよ!ペコに勝つために!風間さんに認められるために!

ペコというヒーローを超えるために、中学では二人と別れたアクマは、そこでドラゴンという新たなヒーローを見つけます。
しかし、そのヒーローはアクマを見ず、チーム(海王)を救うには自分の力だけでは足りずスマイルが必要だと繰り返し、その果てにアクマは討ち死に(卓球で)することになります。


ー時は経ち、トイレシーンへ。

アクマ 「風間さん、誰のために卓球やってます?」

ドラゴン「無論、自分のため・・・

と、来る訳です、ドラゴンはヒーローでは無かった。
皆を救うヒーローどころか、チームを救うためですらない。

「今のが本音なら、俺だって何も・・・」
あんな事はしなかった」ということでしょう、、、。


しかし、この直後、ドラゴンはチームの副将である真田にアクマと何を話したか聞かれ、しばらく沈黙した後に「無論、チームのためだ・・・」と答えたと言います。












この辺りのそれぞれの心情たるや。



そして、ペコが怪我を押して試合に出ようとするシーンでオババは聞きます(ここはアニメオリジナル)

ペコスマイルのために打つのかい?













ちげーよ、オババ、オイラがヒーローだからっしょ!

超オススメのアニメ 『ピンポン THE ANIMATION』-お帰り、ヒーロー-(ゆめの)
















言わずと知れた松本大洋の大傑作漫画「ピンポン」のアニメ。

最近、思い返す出来事があったので一気に全話見返しました、、、やはり最高のアニメです。

原作の漫画、それに映画も素晴らしかったので、何となく「アニメは見なくてもいいかなぁ~」と思っている人が意外と多いのが本当に残念です。
アニメ版にはオリジナルシーンも多く、それぞれのキャラクターがより深く描かれているので是非見て欲しいです。

あのペコがスマイルがドラゴンがアクマがチャイナが活き活きと動いています。

とにかくピンポンの原作や映画が好きな人で何となく見てないという人には絶対に見て欲しい!そうでない人にも絶対に見て欲しい!
私自身「何故これをリアルタイムで見なかったんだ」と後悔としたので。

オススメの映画『奇跡のひと マリーとマルグリット』 (ゆめの)





















フランスに実在したもう一人のヘレン・ケラー、マリー・ウルタンの物語。
生まれつき目も見えず音も聞こえず、碌なしつけも受けてこなかった野生動物の様な少女マリーを修道女のマルグリットが教育を通して心を通じ合わせる。

教育とありますが、それは今日の様なお上品なモノではなく、まさに戦いと呼ぶに相応しい魂と魂のぶつかり合いです。
だからこそ、マリーが初めて手話を覚えた時は、積もりに積もった憤りがそのまま全て喜びとなって噴出したかの様な嬉しさがあります。

余計なBGMなども無く、またマリー役のアリアナ・リヴォワール(この子も実際に聴覚障害者でなんと本作が初出演)の演技が凄まじく真に迫ります。
生々しい人間としての力強さと喜怒哀楽がズシンと重く響く秀作です。

『エンド・オブ・ザ・ワールド』(ゆめの)














地球滅亡まであと21日
お互いを「最後を過ごす場所」に送り届ける約束をして旅に出る。
ロマンスものとして紹介されているが、これはロードムービーでもある。

作中では、その最後以外に劇的な何かがある訳ではないですが、とにかく主演女優のキーラ・ナイトレイの魅力が煌めいています。
観た後で知りましたが「エターナル・サンシャイン」のプロデューサー、スティーヴ・ゴリンの制作ということで納得(こちらの映画でも主演女優のケイト・ウインスレットが魅力的に描かれていました)

ロードムービーの佳作です。

少年奇譚、ゆめゆめ忘れぬ(ゆめの)

子供の頃の記憶で妙に覚えていること、というものがないだろうか。
私の場合、その中の一つにがある。

夢の中で私は宇宙人殺されそうになっていて、家を飛び出して逃げるのだが、ふと気が付くと知らない道にポツンといて、もの凄い孤独感に襲われて絶望する。

そんな夢を子供の頃に何十回と見ていたのである。
どこかその夢には惹かれるものがあって、私は目が覚めた後、何度も夢で見た「知らない道」を探しに行った事がある。

出発前は謎の「辿り着ける確信」があり、途中までは夢の中と同じ道を辿って行けるのだが、近所にある歯医者さんの辺りから、どこをどう走って逃げていたのか分からなくなってしまって、いつも辿り着けずに諦めて家に帰った。
でも何故か、その夢を見る度に無性に「今度こそ辿り着けるんじゃないか?」という気がしてきてまた探しに出てしまうのだ。

少年の日の私には、それはどこかホラー映画にも似た怖いもの見たさの様な不思議な魅力があったのである。

いつの間にかその夢は見なくなってしまったけど、未だに脳裏に焼き付いていて忘れることが出来ないでいるのだ。

超オススメのアニメ 『メイドインアビス』-んなぁ~-(ゆめの)


アビスという未開の大穴への憧れ、遺物と呼ばれるオーパーツの数々、アビスの呪い、そして原作者の業深き様々なフェチズム

可愛らしい絵柄とは裏腹に残酷なまでに厳しく美しい自然とフカフカのナナチの虜になりました(笑)
ED電報船に乗せて旅を振り返っていく演出は、作画と音楽が相まって鳥肌が立つほど美しかったです。

演者や制作陣が「魂を削って作った」と言い、最後には全員が涙していたというだけあって本当に素晴らしい作品です。

記憶に残るであろう名作でした。

時事ネタ『政治家の・・・』(ゆめの)

候補者の人生のための政治 ×…うんこ
民意のための政治 △…必要な場合もあるが往々にしてうんこ
民のための政治 〇…当たり前なのに難しいことですね

最近(?)の野党は地雷マニフェストの見本市みたいだ。

超オススメの歯ブラシ『歯ブラシ職人 田辺重吉の磨きやすい歯ブラシ』(ゆめの)





















歯ブラシの極み

私が愛用している歯ブラシです、色々試したがこれに行き着いた。
磨き心地はもちろん、値段も安く、普通の薬局などでも手に入る、コスパ最高の歯ブラシである。

時事ネタ『電波オークション』 ー日本編ー(ゆめの)


















政府が電波の周波数帯の利用権を競争入札にかける「電波オークション」を検討している。
電波利権に切り込むことにより電波利用料金の収入増割り当ての透明性の確保を図る狙いらしいです。
また規制改革推進会議でも公共の電波の民間開放が検討されている様です。

これらに対する反応の一つとしてメディアの”偏向報道”や”捏造”が浄化される、という意見が割と見受けられます。
しかし、メディアによる偏向や捏造が蔓延る原因の多くは”株をアメリカに、人事を在日外国人に牛耳られている”からと言われており”電波利権”とは関係ない様に思います。

寧ろ、民間開放されれば外国資本が流れ込んでくるので”日本のための報道”という色はより薄まるのではないかと思われます。
あくまで電波利用料金の収入増や割り当ての透明性の確保ということでしょう。


しかし、日本では「利権は悪、規制緩和は正義」という印象操作がされて久しい。
民間開放というと一般の”日本国民”に開放されると思いがちですが、当然、外国資本にも開放されます。
今まで日本人で独占してきた利益が海外に流出する危険性もある、それどころか、はした金のキックバック等で外国から買収される政治家や学者、メディアもあります。
規制緩和」「改革」「日本は遅れている」等という単語が頻繁に出てきて扇動してくる話は”まず疑う”というのが私の常です。
(そもそも「腐った利権が民間開放されれば浄化される」なんて単純なものでもありませんしね)

もちろん改革が全てダメだという訳ではありませんが、注意が必要です。

映画三昧 (ゆめの)

最近見た映画の中で期待しないで見たらそこそこ良かったもの。














『世界にひとつのプレイブック』
精神科に入院していたパットと心に傷を負っていたティファニー、どん底からの一歩を踏み出すヒューマンドラマ。
最後のダンスコンテストのグダグダ感は秀逸、映画『リトル・ミス・サンシャイン』の様なダメダメなユーモアが溢れた映画でした。














『ウォールフラワー』
原作は「ライ麦畑でつかまえての再来」と言われた同名の小説。
友情と恋、内に籠っていた少年の世界が広がる(?)青春映画で十代の頃に観ていたら、どっぷり感化されていたかも。














『あなたは私のムコになる』
キャリアウーマンと部下の恋愛物語。
カナダ人であるマーガレットは仕事に熱中するあまりビザの申請を後回しにしていたせいで国外退去を命じられる。
それを回避するために部下のアンドリューと結婚することにするが・・・。
アラスカの美しい自然とアンドリューの家族の暖かさ、きちんとハッピーエンドでほっこり出来る安心設計。














『キャビン』
夏休みのバカンスに山小屋へと来た大学生5人がB級ホラーのお約束よろしく死んでいく。
だが、その裏には謎の組織の工作があった!という映画、構成がメタ構造になっていて一捻りあります。
きっついブラックなジョークが良いですね。














『ハウンター』
監督は「CUBE」のヴィンチェンゾ・ナタリ。
ある朝、リサは世界がこの日を繰り返していることに気づく。
外に出ようにも霧が濃くて出られず、自分以外の家族はこの繰り返しに気づいていない。
この手のミステリー好きなら十分楽しめる映画だと思います。

『ゴースト・イン・ザ・シェル(実写)』感想(ゆめの)













本当は劇場で観たかったけど、ゲオで先行レンタルされていたので借りてきました。

率直な感想としては”思ったより良かった”です。

随所にアニメ版のシーンを彷彿とさせるシーンがあり、攻殻好きな人が作ったことが伝わってきましたし、
そして何より、吹替が田中敦子と大塚明夫ということで、この二人の会話が聞けただけでもアニメ版のファンとしてはグっと来るものがありました。
ストーリーがオリジナルというのは賛否が分かれる所でしょうか(設定も結構弄られていましたね)

ただ色々中途半端で惜しかった印象です。
原作を知らない人には世界観の説明不足だし、その割にメインストーリーの尺が足りなくて散らかり気味だったと思います。
さらに攻殻にとって最大のキモとも言える「電脳」の描写がイマイチなせいか”情報戦”と”肉弾戦”のマルチなプロ集団という「公安9課」の存在感も希薄で、
結局、ありきたりなサイボーグのドンパチものにしかなっていなかったのが残念でした。

また中二心をツンツンする様な小難しい哲学的な会話もあまりないですし、
ビートたけし演じる荒巻課長も、あの老獪でカッコいい姿は無く、ただのヤクザの組長にしか見えませんでした。

とは言え、某ドラゴンボールと違ってかなり真面目に作られていたし、ちゃんとしたものになっていました。

まぁ、士郎正宗の原作漫画からして膨大な量の要素が盛り込まれているので、さすがにまとめ上げるのは厳しかったのかな。
もっと予算と尺があれば・・・、ですかね。

おやすみ人類 AIについて(ゆめの)

AI(人工知能)と言うと映画『ターミネーター』の様に、時には人類の敵となり、或いは『2001年宇宙の旅』のHALの様に人類の良き友となる存在として認知されていますが、また他にも人類の知能を大きく超越したAIによって人類の力が不要になるのではないかと懸念する声もあります。


確かに、科学・医療・文化等々の進歩新しい発見は人類に無上の喜び尊厳を与えてきたと言えるでしょう。
ノーベル賞や、はたまた将棋やチェスの名人とAIの勝負に一喜一憂する様からもそれが伺えます。
万物の霊長としての自負” AI関連のニュースサイトのコメント欄にはそういった書き込みが多数見受けられますし、私もそれに大いに共感します。



しかし、こういったものに触れる度に私は「現代人はもうゴールしているのだ。しかし、それに気づかずに走り続けているのです」という、ある禅僧の言葉を思い出します。

私達人類はこのAIの完成を以ってゴールとして良いのではないだろうか」と思うとどこか救われる気もします。

万物の霊長というバトンを”彼ら”に渡し、立ち止まり、眠りにつくのも悪くない。
さながら遊び疲れた子供の様に、平穏の中に眠りたい願望が少なくとも私にはあるのだ。

とは言え、まぁ、まだいつになるか分からない話ですけどね。

オカルト 『オーラについて考察』 (ゆめの)

私はファンタジーとしてオカルトが好きなだけで信じている訳では無いのだが、この”オーラ”については無い話ではないと考えている。
よく「オーラが見える」などと言う人がTVにでていたりするが、その人達の真偽はこの際、横に置いておく。

普通の人でも明るい表情、暗い表情というくらいには、その人が発する”何か”を感じている。
それは言葉の表現の上においてだけでなく、実際、自信に満ち溢れている人は輝いて見えて、絶望している様な人は暗く見える。


脳科学の実験では人間はモノを見た時に、視覚野だけでなく脳の様々な箇所が反応することが分かっている。
例えば、怒った表情をした人間の写真を見せられた被験者は、その目から取り入れた電気信号によって”不快感”や”恐怖”といった感情を刺激させられる、といった具合に。
これは人間がカメラの様にモノをただ見ているだけではない、ということである。


また共感覚というものがある。
刺激によって他の感覚器官が反応すること、例えば、触れると味がしたり。
その中でも「色聴」というものがこのオーラの説明になるのではないかと思う。
色聴とは特定の聴覚刺激が与えられた際に一定の色彩感覚印象がそれに伴って現れること(コトバンクより)らしい。
要するに音を聞くとそれが色になって見えるというものである。



つまりオーラが見える人とは、何らかの刺激によって色彩感覚が刺激される体質の人なのではないだろうか。
人間の微妙な顔色や表情、仕草などが色として見えているのではないだろうか、と考えるのである。

まぁ、無い話じゃないんじゃぁ~ないでしょうか(笑)

超オススメの海外ドラマ『ファーゴ(ドラマ版)』 -お前はもうゴリラだ-(ゆめの)




















「簡単なことの様に言うけど、実際は夢の中で決断するみたいに難しいことなのよ」

何とも言えない独特の雰囲気と言い回しがこのドラマにはあり、それが段々クセになります(笑)
シーズン1では人間性の欠落した二人の男によって道徳や価値観といったものをブラックでユーモラスな視点から浮き彫らせますが、対比として登場するこの作品最大の良心である副署長モリーが物語に一本、筋を通しています。

映像、音楽、脚本、演技、構成、全ての完成度がトップクラスだと思います!
個人的に海外ドラマでは久しぶりの特大ホームラン作品でした。

タイムパラドクスについて(ゆめの)

例えば「ある男が過去に行き、自分を産む前の親を殺したとする。そうすると自分は産まれる事が出来ず存在しないことになり、過去に行って親を殺すこともまた出来ない」というのがタイムパラドクスである。

この矛盾を説明するものがマルチバース(並行宇宙)理論である。
簡単に言うと可能性の数だけ宇宙は存在し、過去改変を行った場合「ある男が過去に行った世界線」と「親を殺し、産まれなかった世界線」に宇宙は分岐するというものである。

まぁ、人間の時間超越は現実的では無いかもしれないが、量子力学では平然と起こるとされている現象である。
例えば、素粒子をモールス信号の様に過去に送り、それを受信することで過去を変えることは可能かもしれない。

だが私はこの並行宇宙論に納得がいかないのである。だって、そんな簡単に宇宙が増えるはずがないもん(小並感)

故に、新たにタイムパラドクスを説明する理論を考えた。
それが宇宙の情報量保存の法則である。
ある時間軸に置いて宇宙の大きさは一定であり増えも減りもしないというものである。

外部から情報が送られれば宇宙の質量(情報量)が増えるということであるが、ある瞬間の宇宙の質量が一定で決まっているのであれば、それは不可能ということになる。

つまり未来から過去に情報を送ると宇宙の情報の許容量を超えるため、送信または受信不可になる、カ・コ・ニメールヲ・オクールをしても受信側の容量がいっぱいで受け取れないということだ。

しかし、これは運命論やマトリクス宇宙論に繋がりそうで、それはそれで認めたくないものである。

ゆめの話 ビッグバンとインフレーション理論(ゆめの)


曰く我々の宇宙は宇宙の外側の高次元空間にある谷間を落下しておるのだそうだ。


つまり宇宙は外側の引力によって引っ張られているのである。
外側の谷間は高次元であり、次元数が増える毎に谷底の数が上・下・左・右・前・後と言った具合に増えていき、球形に近づいて行く。


















そうすると、この様に次元数が増える毎に宇宙が落下していく方向が増えていき、仮に次元数が無限∞であるなら360度、周囲に落下していく(まぁ、実際には正多面体の形であろう。無限でなければ膨脹率の偏りが観測出来るはずである)

すわインフレーション理論とは「宇宙は外側に向かって落下していっている」ということなのではないだろうか。
”地球の中心が下”であるのと反対に”宇宙の外側が下”なのではないだろうか。
落下しているのならその速度が加速しているのも納得がいくし宇宙を膨脹させていく謎の力も説明がつく。
そして宇宙の起源であるビッグバンは「高次元の谷間へ無次元であった我々の宇宙が落下したこと」なのではないだろうか。

…という夢を見た。

微オススメの海外ドラマ『ハンニバル』(ゆめの)
















映画ではなくドラマ版。

全体を包む貴族然とした上品さと、血と肉と殺人の生々しさの対比が印象的で、
サブタイトルにはフランス料理のコース名が使われているのだが、ご想像通り、作中にはハンニバル博士が”腕によりをかけた料理”が登場してきます。

正直、博士が前面に出てくるまでの数話は少し退屈だけど、博士が活躍するにつれ物語がドンドン面白くなっていきます。



進撃の巨人 第二期ED曲『夕暮れの鳥』を考察(ゆめの)






















進撃の巨人第二期のED曲である神聖かまってちゃんの『夕暮れの鳥』の歌詞について巷では「意味がよく分からない」「謎や伏線があるのではないか」と言われているので私も考察してみました。

因みに私は英語の成績は赤点だったので歌詞の内容については完全に他力頼みです。

歌詞の詳細については他サイトをご覧ください。またネタバレ要素満載なので原作未読の方は要注意










歌詞とにらめっこをしていて「これは始祖の巨人が自分を引き継いだグリシャとエレンのことを歌った歌である」と思えてきました。

そして歌詞に頻出する『wind(風)と『blow(吹け)巨人の継承が起こることを現していること、
またタイトルの『夕暮れ』と歌詞に出てくる『Morning(朝)の対比は”無垢巨人から知性巨人になること継承)”を指しているのではないでしょうか。

ユミルが無垢巨人だった頃を「終わらない悪夢」と言っていたことからも十分可能性はあると思います。
とすると歌詞に出てくる『Morning in the bird朝の鳥』とは知性巨人ではないかと思われます。



さて、ここからはこの前提の元、歌詞を順に考察していきます。




Song in the bird cage. Should I sing if I sing(鳥かごの中の歌、歌えるのなら歌うべきか)


これは ”壁の中(鳥かご)にある始祖の巨人を私は奪うべきだろうか” というグリシャの自問ではないでしょうか。
アルミンも壁の中のことを鳥かごと表現していましたしね。




Sky Look wind tomorrow(空は明日に風を見て)Blow today(今日吹け)


この箇所は”始祖の巨人が次の継承の日を予見”しているのだと思います。



To expand the hand to the side of other town. Surely not accustomed divert alone(他の町にまで手を伸ばして、きっと孤独を紛らわすのは慣れていないだろうから)


これは独りマーレ(海岸)から壁の町へと向かうグリシャ”



~every night every night. Sing a song so on in the picture(~毎晩毎晩、写真の中の歌を歌う)


,,,進撃の巨人で写真といえば”グリシャの壁外で撮った家族写真”ですね。グリシャがまた家族を持った、ということでしょう。



Sky Look wind tomorrow. Blow to the side of you. ~Morning in the bird. It is next to you(空は明日に風を見て、風はあなたの側を吹き抜ける。~朝の鳥。それはあなたの隣にいる)


次の継承を予感し、巨人を継ぐのはグリシャのすぐ隣にいるエレンだ” ということでしょう。



I can sing again like a bird in the sky(私は空を飛ぶ鳥の様にまた歌える)


これは”始祖の巨人を壁の外へと連れ出したエレン”と合致します。そして、歌詞はここからエレンの歌へと移行します。



I'll sing out with my girl. Go to the meeting place sing alone rolling stone(私の少女と共に歌う。孤独に転がる石が歌う場所へ行きましょう


my girl と alone rolling stone ミカサのことで ”両親を殺され独りぼっち横たわっていたミカサをエレンが助けに行ったエピソード” に読み取れます。



そしてまた歌われる『To expand the hand to the side of other town. Surely not accustomed divert alone(他の町にまで手を伸ばして、きっと孤独を紛らわすのは慣れていないだろうから


これは反転して今度はエレンが孤独に壁からマーレに行くことを示唆しているのではないでしょうか。

そうなると、この時にはミカサやアルミンは死んでしまっているのかもしれません。
(エレンがマーレに行く理由として、おそらくジーク達との再戦に勝利し、アニの女型の巨人を含めた8体の巨人を継承したエレンが最後の巨人を求めて…といった所でしょうか)


この部分は完全に妄想ですが”始祖の巨人がイェーガー親子を歌った歌”という大筋には自信アリです。


2018/8/9 追記 

最近の話で明らかになって来ましたが、エレンが暴走(?)して単独マーレに乗り込んだようですね。